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創造性と現実の間で〜アンディー・ウォーホル
アンディー・ウォーホル

 アンディー・ウォーホル(Andy Warhol, 1928年8月6日 - 1987年2月22日)はアメリカの画家・芸術家でポップアートの旗手。ウォーホールとも表記。本名アンドリュー・ウォーホラ (Andrew Warhola)。

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シルクスクリーンの技法を用い、派手な色彩で同じ図版を大量に生し、アートを記号化した。古典的で難解な芸術とは異なり、その絵柄はわかりやすく、ポップ・アートとして人気を博す。しかし、そこには資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さへの邁進、空虚さが表現されていると見ることもできる。ウォーホルは普遍性を求め続け、彼の作品は資本主義やマス・メディアと深く関連している。また死のイメージもしばしば現れる。ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチメディアのアーティストである。銀髪のカツラがトレードマーク。

■ 活動

 シルクスクリーンによる作品制作

 初期にはアクリル絵の具などでキャンバスに絵を描いていたが、60年代以降はもっぱらシルクスクリーンを用いている。シルクスクリーンの原理は「プリントゴッコ」のようなもので、大量生産に適した手法。同じ図版だが、意図的に少しだけずらしたり、はみ出させたりした。シルクスクリーンのモチーフとして以下のようなものを選んだ。商品: キャンベル・スープ、コカ・コーラ、ブリロ・ボックスなど。有名人: エルビス・プレスリー、キャロライン王女、ジミー・カーター、ジョン・F・ケネディ、ジャッキー・ケネディ、トルーマン・カポーティー、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンロー、マーロン・ブランド、ミック・ジャガー、毛沢東、モハメド・アリ、レーニンなど、その他: ドル紙幣、原子爆弾、ピストル、ミッキーマウス、自由の女神、電気椅子、夕日、花、最後の晩餐など。

■ 映画制作

 多数の前衛的な映画を手掛けた。最も有名なものの一つは、眠っている男を8時間映し続ける『眠り (Sleep)』(1963年)。延々と変化のない映像は、普遍的なものをテーマとしたウォーホルの視点から見ると、理想だったのかもしれない。 その後も映画制作をつづけ、『チェルシー・ガールズ 』(1966年)は全米で公開され、大ヒットとなった。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとのコラボレーション ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground; 以下 V.U. と略) はギターのルー・リード、ヴィオラのジョン・ケイル、ドラムのモーリン・タッカーらによって1965年ごろ結成されたバンド。ウォーホルは V.U. の前衛的な演奏を聴き、コラボレーションを申し込み、また、女優兼モデルだったニコを引き合わせ、ヴォーカリストとして加入させる。そしてデビューアルバム 『The Velvet Underground & Nico』 (1967年3月) のプロデュースとジャケットデザインを手掛けた。シルクスクリーンによる「バナナ」のジャケットデザインは有名。

 前衛的な音楽だっためアルバムはあまり売れなかったが、後に再評価され伝説的な存在となる。ウォーホルは V.U. の楽曲を映画のサウンドトラックとして用いた。しばらくしてニコは脱退し、セカンドアルバムの頃にはコラボレーションも打ち切られる。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとの関係は、映画『ルー・リード: ロックン・ロール・ハート/ Lou Reed: Rock and Roll Heart』に描かれている。またウォーホルの死後、リードとケイルは再結成し、『Songs For Drella』(1990年)という追悼曲を作成した。Drella はドラキュラとシンデレラを足した造語。

■『インタビュー』誌

 ウォーホルが企画し立ち上げた、インタビューのみで構成される月刊誌。1969年秋創刊。縦16インチ x 横10.5インチの大きな表紙に、旬の人物の写真を載せた。芸術、エンターテイメント、政治、ファッション、音楽、スポーツなどさまざまな分野におよぶ。

■ 生涯

生い立ち: 誕生 - 大学卒業

 ペンシルヴェニア州 ピッツバーグで、スロバキア (当時はチェコスロバキア)からの移民の子として生まれる (出生日や出生地には諸説ある)。兄が二人いる。両親は敬虔なカトリック教徒で、彼自身もまじめなクリスチャンとして育った。生涯を通してミサに通う。体は弱かったが、早い時期から芸術の才能を現した。肉体労働者だった父は1942年、アンディが14歳のときに死去。その後は母ジュリア一人に育てられる。アルバイトをしながら地元の高校に通う。カーネギー工科大学 (現在のカーネギーメロン大学) に進学し広告芸術を学ぶ。1949年に卒業。

■ ポップアートの誕生: 20代 - 30代前半

 1950年代、大学卒業後はニューヨークへ移り、『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』などの雑誌のイラストや広告を手掛ける。1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞している。この間に線画にのせたインクを紙に転写するブロッテド・ラインという大量印刷に向いた手法を発明する。1960年、『バットマン』、『ディック・トレーシー』、『スーパーマン』など、漫画をモチーフにした一連の作品を制作するが、同様に漫画をモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインの作品に触れて以降、この主題から手を引いてしまった。当時アメリカは目覚ましい経済発展のさなかにあった。


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 1961年 (33歳)、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。ポップアートの誕生である。1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになる。モチーフにもマリリン・モンローなど大衆的なものを選ぶ (しかも、モンローは1962年に死去したばかりだった)。ジェット機事故、自動車事故、災害、惨事などの報道記事もテーマにした。

■ ファクトリーでの制作活動: 30代後半 - 40代

 1963年(35歳)からはニューヨークにファクトリー (The Factory、工場の意) と呼ばれるスタジオを構える。ファクトリーはアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間であり、あたかも工場で大量生産するかのように作品を制作することをイメージして造られた。彼はここでアート・ワーカー(art worker; 芸術労働者の意)を雇い、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作する。ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、トルーマン・カポーティ(作家)などのアーティストの集まる場となる。

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 1965年(37歳)、ロックバンド ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとコレボレートし、デビューアルバムのプロデュースやジャケットデザインを行う。シルクスクリーンプリント制作の傍ら1963年から1968年にかけて、60を超える映画作品を撮る。しかし一般公開されたものは少ない。初めて一般公開された作品は1966年の『チェルシー・ガールズ』。

■ 狙撃事件とそれ以降: 40代 - 没

 1968年6月3日 (40歳)、ウォーホルは「全男性抹殺団」のメンバーだったバレリー・ソラナスという女性に拳銃で狙撃される。ソラナスはウォーホルの映画に出演したことがあった。三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通した。彼は重体となるが一命をとりとめる。この事件は「アンディ・ウォーホルを撃った女 / I Shot Andy Warhol」として1995年に映画化されている。

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 1969年にはインタビューだけで構成された『インタビュー』誌を発刊する。70年代と80年代は社交界から依頼を募り、ポートレイトのシルクスクリーンプリントを多数制作する。1970年には「ライフ」誌によってビートルズとともに「60年代にもっとも影響力のあった人物」として選ばれる。1972年、ニクソンの訪中にあわせて毛沢東のポートレイトを制作した。同年、母がピッツバーグで死去。世界中で個展を開催し、1974年には初来日。

 1982年から1986年にかけては災害や神話をモチーフとした一連の作品を作成する。最後の作品は1986年のレーニンのポートレイトなど。1987年2月21日、ニューヨークのコーネル医療センターで胆のう手術を受けたが、翌22日、容態が急変し心臓発作で死去。享年58。生涯独身だった。ピッツバーグの聖ヨハネ・バプテスト・カトリック共同墓地に埋葬されている。ピッツバーグの北部海岸にアンディ・ウォーホル博物館(外部リンク参照)がある。一人の芸術家に特化した美術館としてはアメリカ最大。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



(考察) -------------------------------------------------------------------------



■ 創造する人間の意図

 ”もし、アンディ・ウォーホルについて何かを知りたければ、私の絵や映画や私の表面をよく見さえすればいい。そこに私はいるのだから。その後ろ側には何もない。”

 よくこの言葉が引用されるが自己の作品に関しての意味合いや無関心を象徴する言葉としてもよく解釈されてきた。

 しかし現在、我々はほぼそれらの製品群に埋め尽くされて生活を謳歌しているしその精神的な空虚と生活で当然といえる物質的な充足感に対する客観性を表す内容であると私は思っている。もちろん彼は、そのように考えていたかどうかは分らないが、自分自身をロボット風姿勢や低脳、頭が空っぽのように見せる一つの表現手法を展開する為のパフォーマンスとも受け取ることが出来るであろう。 一方、作品群を見て見ると、上記の発言から想像も出来ないぐらいイメージの群体化による力が見る事ができるし、イメージを大量に流通し、消費されることで社会のこうした本質を見抜き、興味を示し、鮮やかにそれを取出して反復させて見せたと考えている。

■ 名声とシルクスクリーン技法の確立

 彼のシルクスクリーン技法は、1962年7月に遡る。ネイサン・グラックが本当に反復するイメージを制作する手間を省きたいなら、写真に製版のシルクスクリーンによる版画技法を使うべきだと勧めたのが始まりとされる。

 こうして彼は自己の芸術で不可欠と考えていた「数量と反復」を自在にコントロールし生産性の向上を飛躍的に高めたのである。しかし、彼はインクの調子を意図的に変えて機械的になることを巧妙に避けている。商業アーティスト出身である彼は商業印刷で見られる校正刷の気まぐれな変化や失敗や重なりをあえてイメージに反映させている。キャンバスに残されたフォト・モンタージュの痕跡を見つけるに従って量産体制で生産された作品であっても、色の境目に残された絵の具の盛り上がりがアートを彷彿させ惹きつけて止まないのだ。

 手で人物を描いていたころと違い技法を向上させる目的を無くし正確な類似性により人物や製品の再現を飛躍的にまた大規模にも対応する体制を生み出した。その拠点が『ファクトリー』と呼ばれるアトリエを開設し、この段階で作者が特定されないまでに製作のシステム自体をオートメーション化し、また非個性化することにより、ウォーホル流の無個性、匿名性への志向がうかがえる。

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”ビジネス術(アート)は、大文字で書かれた芸術(アート)次のステップだ。僕は商業アーティストとして出発したが、ビジネス・アーティストとして仕事を全うしたい。いわゆるアートとか何か呼ばれるものをやったあとで僕はビジネス・アートの世界に飛び込んだ。アート・ビジネスマン、いやビジネス・アーティストになりたかったのだ。ビジネスがうまくいくというのが、もっとも魅力的な種類のアートなのだ。”

アンディ・ウォーホルの哲学より

■ 消費されるイメージと ある組織の考察

”自分はあまりに素早くイメージを使ってしまうので想像力が涸れてしまったように感じる。”

アイヴァン・カープとの会話より

 彼は度々イメージの枯渇を味わっていたみたいだ。なぜ今回彼を取り上げたかはこんな経緯があったのである。 先日、知り合いと会話していて感じる事が度々あったのだが、個人の創造性に関しての事である。私は個人の創造性で名声を博す、または組織を運営することに関しては否定的である事実が自己の考えを展開する機会があった時に改めて痛感したのである。

 危険極まりないとはこの事で、あるホールディングスカンパニーを調査中にこの問題に遭遇した。個人のアーティストが柱として組織が運営されており、その個人のもしくは、その追従する個人の創造性で組織が運営されているのだ。上記に掲げるイメージの枯渇に陥ればどうなるのであろう。個人を中心とてトップダウンの組織体系である。極めて破滅的な組織体系であり、早急に事業の多角化を展開しなければ水泡に帰すのは時間の問題であり、その組織自体は専売の事業比率を落とし、多角化した事業に力を入れ直すらしい。もっと早く出来なかったのかと言いたいし、過去のアーティストの事例を真剣に組織で討議し、打てる博打の数を増やし展開せずに来たのが根本的な原因であると考えられる。

 翻って、私はその個人の危うさを指摘したのだが、会話をしている人はそうゆう事には意識が無いらしい。私は、よく物を創り上げる人(例えば、デザイナーや作曲者や芸術家を志向する人)と会話するときにこの話をするのだが今ひとつ理解されず今日に至っている。天才的な個人であっても個人の創造力はたかがしれていると感じているし、かといってひらめきを否定している訳ではない。一旦休むとまた閃いたなんてのレベルで話している訳でもない。本質的に人間は、”創造性の枯渇から守る意識”に関しては無頓着と言わざろう得ない。一度、商業目的に利用されれば個人の豊かな創造性は開花の道を歩めるであろうが、膨張し、飽和させられ破裂を余儀なくされるであろう。

※この考察記事はアメブロ本店からの転記記事です。
http://ameblo.jp/tukumo-k-type/entry-10004527361.html

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